「 謙虚さと傲慢さの間で 」

22歳でJリーグの名門クラブに育成普及のコーチとして入団した。 

当然、諸先輩方、同僚はもちろん、自分より若いコーチも自分より優れた部分があり

自分との差を痛いほど感じさせられていた。 それでも指導者として選手、子供たちの

前に立つわけだが、明らかに才能やポテンシャルの高い子たちが目の前にいる。

周りのコーチ陣に圧倒され、目の前の選手たちにも圧倒され、もう自分の出来ることを

必死にやるしかなかった。 周りの人からはどう見えていたのかは分からないが

嫌でも不足していることを意識していたので悔しいけど認めるしかなかった。

育成における鏡のような魅力ある人間性、豊富な知識と経験を持った先輩たちに

憧れつつ、背中を観ることとで多くの学びもあり、また「良い指導者とはこういうもの」

という基準が自分の中に生まれた(おそらくこの基準は国内でTOPクラスなんだと思う)

あまりに自然に、あまりに身近でこんな高いレベルの人たちに恵まれた性なのか

(横浜という都会で、マリノスという日本屈指の名門クラブであることを考えれば当たり前と言えば当たり前か)

逆に国内で一度外に出ると、なかなかそういう人たちに会えなかった。

このレベルの人たちが他にもいると思っていたのが間違いだったのかもしれない

小中学生の頃から関わっている選手たちが気がつけばJリーグで活躍したり、代表にもなり 上手い、とか、速い、とかの基準がかなり高くなってしまった。

当たり前のレベルが高いこと、子供がプロ選手になっていく過程を見る回数が多いことに恵まれたことは指導者として財産となった。

気がつけば自分がGKコーチとしてサポートする監督が自分より若い指導者に就くことが多くなった。 また、監督の上の強化部長や社長など、それまで自分からは階層が離れていた人とも近くなってきた。

ここで少し難しくなってきたのは

それまで高いレベルの指導者や選手の近くにいたことで自分が勘違いしてしまったこと。

レベルが高いのはその指導者の人たちで、選手たち。 時間を共にした指導や選手が

TOPや代表に行ったとしても、自分がなったわけじゃない。

それなのに他の指導者や選手たちを、そのレベルの高い指導者や選手たちと比較して

もの足りなく感じてしまうこと。  

誰しも指導者だったら関わった指導者や選手、選手なら自分に関わった指導者や仲間をお互いに評価してしまうことはあるのかもしれない

誰と一緒にいても、どこにいても自分の出来ること、レベルは変わらないはずなのに完全に自分を棚に上げてしまう。 もしかしたら自分はそういう意識を持っていたかもしれない。

自分が大事にしていた謙虚さを忘れていつの間にか傲慢になっていた。

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